ougarairin’s diary

技術的なことと読んだ本とV

Virtual to LIVE からみるバーチャルユーチューバー

少し前から書こうと思っていた何か

0. 事前宣告

  • この記事では, Virtual to LIVE の歌詞を解釈するわけではありません.
  • 「Virtual to LIVE」からちょっとした連想ゲーム(文字遊び)をするだけの記事です.
  • メタ的な内容を含むため, 苦手な方はブラウザバックを推奨します.

1. 序論

バーチャルユーチューバーは, 中の人(あるいは魂, 演者) を自由なタイミングにて変更が可能なコンテンツであるため, 非常に運営がしやすい.

という意見が盛大に間違いであったことは, ここ2年ぐらいこの界隈を見てきた人であれば誰もが知っていることである.

多くのケースにおいて, 中の人の交代は(特に無断の場合) ネガティブに捉えられることが多く, 結局として交代前のキャラクタとは違うことを強制させられることが多い (例えば髪飾りに違うものをつけて差異を表すなど).

では, なぜダメだったのか.

多くの場合, 以下のような意見に集約される. つまり,

「バーチャルユーチューバーは生きていて, 中の人の交代はすなわち魂の死(生まれ変わり) を意味する」

といった意見である.

さて, この意見はこの界隈を見てきている人間にとっては, 確かにその通り. となる意見ではあるが, あまり直感的ではないように思える.

なぜなら, 表向きにはバーチャルユーチューバーはアバターを用いて演じられたキャラクターであり, コンテンツであり, そこに主体性はないはずだからである. とどのつまり, アニメーションが時間軸方向に拡張されたものと認識されやすいためである.

しかし, これは間違いである. 少なくとも, ここ最近活動されているような, 配信主体のバーチャルユーチューバーはこれには当てはまらない. つまり, 主体性を持つのである.

今回はこれについて, 「Virtual to LIVE」を用いて説明を試みる.

2. 本論

「〇 to ▲」という表現は, 意外と使われている (プログラムなどで).

これは「〇 を ▲ に変換する」ことを意味している.

これを踏まえて「Virtual to LIVE」の意味を考える. といっても単純で「Virtual を LIVE に変換する」ということだろう.

では, 「Virtual 」とは何なのか. 「LIVE」とは何なのか.

1つ1つ確認してみることとする.

2.1. What is Virtual

ここで二つのアプローチが考えられる.

  1. 辞書的な意味としてのvirtual
  2. バーチャルユーチューバーとしての virtual

一つ一つ見ていく.

2.1.1. 辞書的な意味としてのvirtual

virtual は英単語であるため, 単純に日本語訳を手に入れるためには英和辞典を使うことが手っ取り早い.

ネットで簡単に見れる「webio」では

(表面または名目上はそうでないが)事実上の、実質上の、実際(上)の、虚像の

となっている.

さて, ここで注意しなければならないポイントは一点. 「仮想」という単語が入っていない点である.

バーチャルリアリティーがよく「仮想現実」と訳されるため, 「virtual」は「仮想」という意味をもつと考えられやすいが, 誤りである.

バーチャルリアリティ学会のホームページによると

バーチャル (virtual) とは,The American Heritage Dictionary によれば,「Existing in essence or effect though not in actual fact or form」と定義されている.つまり,「みかけや形は原物そのものではないが,本質的あるいは効果としては現実であり原物であること」であり,これはそのままバーチャルリアリティの定義を与える.

バーチャルの反意語は,ノミナル(nominal)すなわち「名目上の」という言葉であって,バーチャルは決して リアル(real)と対をなす言葉ではない.

とされている.

まとめると, 「そこに実体はないが, 本質的には現実であり現物である」ものが「virtual」である.

2.1.2. バーチャルユーチューバーとしての virtual

難しいことが好きな人であれば

バーチャルYouTuberの三つの壊れ――設定、身体、画像(『ヱクリヲvol.10』刊行イベント「一〇年代ポピュラー文化のアニマ」特別寄稿)」

を読んでみると, なんかそれっぽいことが書いてあったりする.

今回欲しいところだけ頂くとすると,

  • バーチャルユーチューバーは3つの要素にて構成されている
    • パーソン
      • 中の人
    • メディアペルソナ
      • メディアを介した中の人の現れ
    • フィクショナルキャラク
  • 鑑賞者の対象はこれらのいずれか, あるいはその総体

辺りだと思っている (正直わかっていない).

さて, バーチャルユーチューバーはいくつかの層(要素) にて構成されていることが, ここから分かった.

では, 「virtual」はこれら3要素の中だとどれに該当するか. 恐らく「フィクショナルキャラクタ」, とどのつまり「キャラクタ」そのものだろう.

まとめると, バーチャルユーチューバーはいくつかの要素にて構成されており, その中の「キャラクタ」は「virtual」に該当する.

2.2. What is LIVE

「生きる」「生きている」と訳されるそれを深く考えることは, 非常に骨が折れそうである.

さて, そのものを考えることが大変な時は, その余事象を考えることは時として有効である.

というわけで「死」について考えてみる. 死にまつわるよく聞く話として

人間には“三つの死”がある、という考えを聞いた。一度目は心臓が止まった時、二度目は埋葬や火葬をされた時、三度目は人々がその人のことを忘れてしまった時だ。

という話がある.

ここで興味深い点は, バーチャルユーチューバーは, もし中の人が存在しない(あるいは無限に交代可能) とするのであれば, 三度目の死以外は存在しない点である.

しかし, だからと言って不死ではない (むしろより短命であることが多い).

なぜなら, 忘れられること, あるいは認知されなくなるとその存在が確定しなくなるー. すなわち死を意味するからであろう.

閑話休題.

おそらく, ここでの「LIVE」とは「生きる」だけでなく. 「生配信」や「リアルタイムでの配信」を意味する「LIVE」からも来ていることであろう.

つまり, 今を意味する言葉である.

まとめると, 「LIVE」とは「今を生きる」ことを意味するものである.

2.3. Virtual to LIVE

さて, 今までの話をもとに, 「Virtual to LIVE」を考える.

とどのつまり, 「実体はないが本質的には存在するキャラクタ」を「今生きている状態」に変換することこそが「Virtual to LIVE」である.

3. 考察

中の人を交換できる. と考える人は, 恐らく我々観測者(鑑賞者)は「Virtual」を「キャラクタ」見ている(鑑賞している) と考えているのであろう.

しかし, 現実は違ったのである.

「Virtual to LIVE」の処理が施され, 変換された「今を生きているキャラクタ」を見ていたのである.

つまり, そのキャラクタは無機物ではなく, 本質的に存在し, 主体性を持っているのである.

どうしようもなく今を生きているのである.

そのなかの中核を担うといっても過言ではない, 魂(中の人) の交換は, つまるところそのキャラクタの転生を意味するのである.

これより, 中の人を交換することは, バーチャルユーチューバーにとって現実的なことではないことが, 「Virtual to LIVE」によって説明できたと考える.

4. 拡張

個人的な本論

ここまで対象を一人として考えてきた.

ここでは, コラボ配信について, 少しだけ考えてみることとする.

コラボにもいくつか種類があり

  • オンラインコラボ
  • オフラインコラボ
    • スタジオに集まってのコラボ
    • ロケ
    • 誰かの自宅

のように分解できる.

少しだけ確認してみる.

オンラインコラボについては単純で, お互いLIVE層(要素) でのコラボである. すなわち, 各種配信プラットフォームでのコラボである.

では, オフラインコラボの場合は, それ以上に親密な関係でのコラボの場合, 果たしてそれはどの層(要素) での対話となるのか...

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Virtual ti LIVE

そして, それを観測した時, 観測者はどこまでそれについて触れることが出来るのか.

それについてはまたいつか.

あとがき

にじさんじ性癖コンビ, 現 Crossick について言及する場合, 果たしてどこまで許されるのか...

と考えた人は意外と多いのではと思っています.

というのはとどのつまり「どうしようもない今を生きている」人たちの関係を論ずることは, 単純にセクハラか何かなのでは? と.

でも案外どうして「生もの」なのかきちんと言語化できていなかったため, 今回きちんと残してみました.

なお, じゃあ二人に関して触れるのはタブーとする. ことは3度目の死の話によって棄却されます.

では, どこまでOKなのか?

基本は本人たちに問題がない範囲で...

という正論は, じゃあその問題ってどこまで? と問われた瞬間崩れ去ります.

なぜなら本人たちにしかその範囲が分からず, とどのつまり誰もその範囲がわからないためです (本人に聞くわけにはいかないから... 二次創作の立ち位置的なお話).


なお, 以下が個人的な結論.

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git

  • 「今を生きている」を言い換えるのであれば「常にアップデート」されている.

  • 一方「アーカイブ」によって, 各時点の「スナップショット」が残されている.

  • つまり, そのキャラクタの人生がバージョン管理されていると考えることが出来る.

であるならば, ブランチを切ってしまえばよいのでは. と思っていたりします.

ただし, master にマージすることや, プルリクエストを出すことは, 基本的にはNG かと思っています.

なぜなら, 干渉することになるためです.