ougarairin’s diary

技術的なことと読んだ本とV

後悔と時の運

にじスプラ大会を見ていた時のお話.

とはいえ, 全くと言っていいほどスプラの話はしないものとする.

そして, 記憶は喪失したため, この内容のソースはない.


人生は時の運.

と言ってしまうのであれば, その人生には後悔はないはずである.

なぜなら, 後悔は過去の行いを悔やむ行為だからである.

その行為が, 人生においての岐路やチャンスが, すべてさだめによって決まっているのであれば, 後悔などするはずもないのである.

さて, 勝負というものは基本的には勝ちと負けがあるから勝負であって, 行えばどちらかが敗者となる.

ここで敗者が, その結果を悔いて今までの行いを振り返ることは, まごうことない後悔であって.

後悔を行った敗者が人生を時の運と称すのであれば, ここまでの論で考えると矛盾が生じる意見である.

では, 時の運と後悔が両立する世界線は存在するのか?

恐らくは, 第三者の存在であろう.

ここまでの話は, 単数, 一人で完結する話を前提条件としてきた.

もし後悔する内容が第三者に絡むのであれば, その行為が時の運だとしても, 理不尽だったとしても, 人は後悔するのではないか?

そう感じた気がする, にじスプラ大会 (雪晴れに花ふわり)でした.

論理的に, 一つ一つ言葉遊びをすると理解できるものの, 個人的に腑に落ちないのはきっと人とあまり関わらずに生きようとしているからなのか, それとも感情が淡白だからなのか. あるいは高瀬舟を思い出して, 今に踏みとどまろうとしているからなのか.

どれであれ, 他の方の思想に触れることが出来てよかったと思います.